「本日、抗がん剤治療が終了し、腕から針がはずされました。」悪性リンパ腫を宣告された大道芸人「鮫島洋幸」が死を恐れなかった理由。

佐賀を離れる直前、こんなメッセージが届いた。

こんにちは、はじめまして。 私は高知在住の職業バルーンアーティストなのですが、「悪性リンパ腫」という血液の癌の治療のため、抗がん剤治療を受けております。 よければ取材に来ませんか?

突然のことで、わたし自身取材するか、取材できるのか迷っていた。しかしなにか感じるものがあった。メールをたくさんいただいていると、自然と文体から相手が見えてくるのだ。その直感を頼りに病院へと向かった。

鮫島洋幸 高知県南国市在住 職業:バルーンアーティスト

幼いころ、親の仕事で高知へ移住

サトモト:はじめまして。ライターやってます、サトモトと申します。今日は貴重なお時間をありがとうございます。よろしくお願いします。

鮫島:こちらこそよろしくお願いします。

サトモト:いきなりなんですが、今の体調は大丈夫なのでしょうか?

鮫島:今は白血球数も安定していて比較的落ち着いていますので大丈夫ですよ。ありがとうございます。

サトモト:本当にお時間頂きありがとうございます。いろいろ伺いたいことがあるのですが、これまでの経歴みたいのものを簡単に教えていただけると助かります。

鮫島:わたし元々は九州の熊本の出身なんです。ですが、幼い頃に親の仕事の関係で高知へ引っ越しました。それから高知の工業高校を卒業して、そのあとは造船、電気系の配線、携帯ショップ、フリーペーパーの作成など、いろいろな仕事を経験しました。

尊敬するマジシャンたちの不幸に遭う〜大道芸への入り口〜

サトモト:「大道芸」との出会いはいつだったのでしょうか?

鮫島:17年近く前からマジックをやっていたんです。当時通っていたバーのマスターがマジシャンだったので、それがきっかけで。けど、事故で亡くなってしまったんです。また、マスターを通して別のマジシャンとも交流がありました。その方は世界レベルで有名な方で、この世界では知らない者はいないってくらいでした。けど、その方もガンで無くなってしまったんです。

サトモト:現実にそんなことって、、、。わたしはまだ大切な人をなくした経験があまり無いので、正直共感が難しいです。

鮫島:実は今ご紹介した2人のマジシャンとは別に、大道芸人さんとの交流もありました。ただ、、その大道芸人さん、ある朝起きたら半身不随になってしまって。そのときは本当に絶望的な気持ちになりました。本当に人っていつ何があるかわからない。明日死ぬかもしれない。そう思ったときに、やりたいことやろうと思って、それまで続けていた仕事を辞め、この道に進みました。

軌道に乗り始めたころ、まさかの宣告でした

サトモト:大道芸(バルーンアーティスト)を仕事としてはじめた当初はどうでしたか?

鮫島:3年くらいは貯金とアルバイト収入で生活していました。けど、おかげさまで4年目くらいからかな?芸人として生活できるようになっていきました。運がいいのか悪いのか、高知にはバルーンアーティストがほぼいなくて、唯一の存在になれたのもよかったのかもしれないですね。夜は、帯屋町あたりでよくショーをやってましたね。人脈づくりも兼ねて。そうこうするうちに、広告代理店からも依頼が来るようになって、生活にも余裕が出てきたところでした。

今年3月に事務所をつくるための引っ越し作業を始めました。

ただ、そのときから体の不調があったんです。

引っ越し作業の途中で、アゴの感覚が無くなりました。最初は歯に異常があると思って、歯医者に駆け込んだら「ここで診る症状ではない」ということを言われ、その日のうちに大学病院へ。その時にはもうアゴがかなり腫れていたんですが、とりあえず1週間の様子見。再度病院へ行ったのですが、その時も異常はないと言われました。再度、様子見。けど、次第に左頬が腫れていきまいた。

そこでもう一度、病院に行きました。わたしの症状を見た医者の顔色が変わりました。他の先生方も来て、組織検査を行いまいた。結果が出るまで1週間。わたしは新事務所の開店の準備も並行して進めてました。

後日、病院から呼ばれました。

「悪性リンパ腫です」 そう告げられました。

つまり血液のガン。再度、精密検査が行われ、「悪性リンパ腫」であることは間違いないと言われました。

「3、4ヶ月で命に関わるかもしれない。」その日のうちに、実家や嫁さんにも説明をしました。続けていたFacebookにも、「明日から入院します。」とだけ投稿しました。

過酷な闘病生活。リアルとネットによる交流が支えだった

翌日から治療が始まりました。もちろんはじめての抗がん剤治療です。この治療では「クール」という治療期間の単位が使われます。治療に1週間、その後白血球数が正常に戻るのに2週間。これが1クール。わたしの場合は当初4クールのはずでしたが、再度考慮しなおして、全体で6クールの治療を受けることになりました。今は最後の6クール目が終わりに近づいている段階です。

サトモト:抗がん剤治療ってかなりつらいイメージがあるのですが、実際はどうなんでしょうか?

鮫島:わたしの場合、あまりつらくはなかった。けど、それは造船所での経験があったからなんです。そこでの仕事では、電気溶接の際に、火花や溶けた鉄のしずくが皮膚に当たってやけどするなどは日常茶飯事。だから痛みには慣れていたんですよ。それに吐くことも一度もなかった。 

鮫島氏は淡々と治療の様子を語っておられた。しかしFacebookの投稿を見ていると、壮絶な体験をしていることがわかる。

鮫島さんのFacebookの投稿より。(一部省略) (2015/8/20)今日で、6クール目の入院治療も8日目に入りました。
初日に行われた、抗がん剤を脊髄の髄液に注射する「髄注」後、すぐに白血球の減少が始まってしまい、その影響で倦怠感が強く出て、昨日までほとんど寝たきりで過ごしていました。吐き気ほどではありませんが、ずっとムカムカ感がありました。
そんな中で良かったことといえば、 今回、指の麻痺と難聴の副作用が出やすい抗がん剤を使わなかったので便秘が発生しませんでした。それだけは唯一の救いでした。 今日、抗がん剤治療の全ての点滴の予定が終了し、腕から針がはずされました。
白血球の減少はこれからピークを迎えますので、しんどいのはまだ続きそうですが、予定されていた抗がん剤治療が全て終わったというだけで、心の晴れやかさが全然違います。自然と涙が出てきます。 今日、やっと終わったんです。 でも、本番はこれからなのでしょう。
抗がん剤そのものが発がん物質ですし、それを大量に長期間流し込んできた、安全装置の外れた爆弾の様な身体です。
今までとは比べられものにならない位に気を付けて生活しないと、すぐに再燃してしまう危険性があります。 寝たきりだったことと、ほっとしたことで、少し気持ちが弱っているようですね。すみませんm(_ _)m ーーーーーーーーーー 今日は、今回の入院で私自身に起こった変化を纏めてみようとおもいます。 ーーーーーーーーーー 5月1日に入院して、当初は先が見えないほど長いと感じていた入院期間も、過ぎてしまえばあと10日足らずとなりました。 1クール目の入院で起こったのは、まずは体重の激変でした。 85Kgほどあった体重はすぐに10Kgほど減りました。
原因は、早寝早起きの規則正しい生活と、 管理栄養士によってカロリー計算された病院食と、運動量の減少と化学療法による筋肉量の減少です。
二ヶ月を経過した頃には15Kgほど減っていました。 次に起こったのは、細胞の再生を阻害する抗がん剤の副作用による変化でした。 伸びるのが早い体毛からゴッソリと抜け落ちていきました。毛髪から始まり、髭、鼻毛、睫毛、眉毛、そしてそれ以外の体毛が順番に抜けていきました。
2クール目の入院直前に、点滴の針を打つ場所の周りの邪魔な腕の毛を剃ったのですが、3ヶ月経った今でも生えてきません。 爪の成長も阻害され、生え際から1クール毎の期間に合わせて段がついて成長しています。

爪と指の密着も弱いのか、爪先に力を加えるとすぐに血が滲むため、風船を長時間ひねり続けるのが困難になってきています。 怪我も治りにくくて、最初の入院直後にできた脛の傷がまだ塞がっていません。痔も治りません。細かいことですが、けっこうこれがキツいです。 末梢神経の麻痺の副作用のある抗がん剤の影響で、手足の指先に感覚麻痺が出ています。皮膚の触覚がありません。熱い物に触れても、皮膚の奥まで熱くなってからでないと分からないのが怖いです。簡単に深くまで火傷しそうです。 元々、左耳は音が聞こえないのですが、右耳にも難聴が出ました。薬剤性なのか突発性なのか、それともメニエルなのか、診断中です。 ーーーーーーーーーー 反面、良いことも沢山ありました。 まず、痩せたことでメタボが解消されました。中性脂肪と皮下脂肪が激減したお陰です。中性脂肪が減ったことでインスリ抵抗性も下がり、血糖値は境界型糖尿病のエリアから脱しました。今と同様の食生活を続けることで、健康体を維持できそうです。 食事の糖質量をコントロール(完全制限ではありません)することで、皮脂のべたつきがなくなりました。朝に顔と頭を洗ったら、夜までさらさらです。加齢臭(男臭さ)も減ったようで、枕が臭わなくなりました。 以下は、太り気味の人にしかわからないとおもいますが・・・・・・ 以前より暑さを感じなくなり、家族に「エアコンが寒すぎる」と言われなくなりました。風呂上がりなどに、汗をだらだらとかき続けることがなくなりました。お腹や脇腹が冷える事も少なくなりました。椅子に座る際に、脚(ひざ)を組む事が出来ます。体育座りをしても、後ろに転がることがありません(笑)立ったままで靴下を履けます(笑)椅子に腰かけたままで、足元に落としたものを拾えます(笑) ーーーーーーーーーー 入院するまでは、家族以外で私の事を気にかけてくれる人はいないものと思っていました。 なのに、リアルでもネット越しでも、とても多くの方々が応援し、支援してくださいました。信じられない気持ちでいっぱいでした。 それまでは「他人は他人、自分は自分」という気持ちで生きてきました。他人に干渉せず、自分も干渉されない生き方を望んで来ました。 以前、親しい人の死を境に、生き方を変えました。会社員を辞めて自営業を始めたのもそれが原因のひとつです。他人と親しくなりすぎると、その人に辛いことが起こったときに耐えることが出来ない・・・・・・ そういう気持ちがあったのかもしれません。今回、自分が死に直面する病気になったことで、また生き方が変わりそうです。

鮫島さんのFacebookの投稿より。(一部省略) (2015/8/20)今日で、6クール目の入院治療も8日目に入りました。初日に行われた、抗がん剤を脊髄の髄液に注射する「髄注」後、すぐに白血球の減少が始まってしまい、その影響で倦怠感が強く出て、昨日までほとんど寝たきりで過ごしていました。吐き気ほどではありませんが、ずっとムカムカ感がありました。そんな中で良かったことといえば、 今回、指の麻痺と難聴の副作用が出やすい抗がん剤を使わなかったので便秘が発生しませんでした。それだけは唯一の救いでした。 今日、抗がん剤治療の全ての点滴の予定が終了し、腕から針がはずされました。白血球の減少はこれからピークを迎えますので、しんどいのはまだ続きそうですが、予定されていた抗がん剤治療が全て終わったというだけで、心の晴れやかさが全然違います。自然と涙が出てきます。 今日、やっと終わったんです。 でも、本番はこれからなのでしょう。抗がん剤そのものが発がん物質ですし、それを大量に長期間流し込んできた、安全装置の外れた爆弾の様な身体です。今までとは比べられものにならない位に気を付けて生活しないと、すぐに再燃してしまう危険性があります。 寝たきりだったことと、ほっとしたことで、少し気持ちが弱っているようですね。すみませんm(_ _)m ーーーーーーーーーー 今日は、今回の入院で私自身に起こった変化を纏めてみようとおもいます。 ーーーーーーーーーー 5月1日に入院して、当初は先が見えないほど長いと感じていた入院期間も、過ぎてしまえばあと10日足らずとなりました。 1クール目の入院で起こったのは、まずは体重の激変でした。 85Kgほどあった体重はすぐに10Kgほど減りました。原因は、早寝早起きの規則正しい生活と、 管理栄養士によってカロリー計算された病院食と、運動量の減少と化学療法による筋肉量の減少です。二ヶ月を経過した頃には15Kgほど減っていました。 次に起こったのは、細胞の再生を阻害する抗がん剤の副作用による変化でした。 伸びるのが早い体毛からゴッソリと抜け落ちていきました。毛髪から始まり、髭、鼻毛、睫毛、眉毛、そしてそれ以外の体毛が順番に抜けていきました。2クール目の入院直前に、点滴の針を打つ場所の周りの邪魔な腕の毛を剃ったのですが、3ヶ月経った今でも生えてきません。 爪の成長も阻害され、生え際から1クール毎の期間に合わせて段がついて成長しています。

爪と指の密着も弱いのか、爪先に力を加えるとすぐに血が滲むため、風船を長時間ひねり続けるのが困難になってきています。 怪我も治りにくくて、最初の入院直後にできた脛の傷がまだ塞がっていません。痔も治りません。細かいことですが、けっこうこれがキツいです。 末梢神経の麻痺の副作用のある抗がん剤の影響で、手足の指先に感覚麻痺が出ています。皮膚の触覚がありません。熱い物に触れても、皮膚の奥まで熱くなってからでないと分からないのが怖いです。簡単に深くまで火傷しそうです。 元々、左耳は音が聞こえないのですが、右耳にも難聴が出ました。薬剤性なのか突発性なのか、それともメニエルなのか、診断中です。 ーーーーーーーーーー 反面、良いことも沢山ありました。 まず、痩せたことでメタボが解消されました。中性脂肪と皮下脂肪が激減したお陰です。中性脂肪が減ったことでインスリ抵抗性も下がり、血糖値は境界型糖尿病のエリアから脱しました。今と同様の食生活を続けることで、健康体を維持できそうです。 食事の糖質量をコントロール(完全制限ではありません)することで、皮脂のべたつきがなくなりました。朝に顔と頭を洗ったら、夜までさらさらです。加齢臭(男臭さ)も減ったようで、枕が臭わなくなりました。 以下は、太り気味の人にしかわからないとおもいますが・・・・・・ 以前より暑さを感じなくなり、家族に「エアコンが寒すぎる」と言われなくなりました。風呂上がりなどに、汗をだらだらとかき続けることがなくなりました。お腹や脇腹が冷える事も少なくなりました。椅子に座る際に、脚(ひざ)を組む事が出来ます。体育座りをしても、後ろに転がることがありません(笑)立ったままで靴下を履けます(笑)椅子に腰かけたままで、足元に落としたものを拾えます(笑) ーーーーーーーーーー 入院するまでは、家族以外で私の事を気にかけてくれる人はいないものと思っていました。 なのに、リアルでもネット越しでも、とても多くの方々が応援し、支援してくださいました。信じられない気持ちでいっぱいでした。 それまでは「他人は他人、自分は自分」という気持ちで生きてきました。他人に干渉せず、自分も干渉されない生き方を望んで来ました。 以前、親しい人の死を境に、生き方を変えました。会社員を辞めて自営業を始めたのもそれが原因のひとつです。他人と親しくなりすぎると、その人に辛いことが起こったときに耐えることが出来ない・・・・・・ そういう気持ちがあったのかもしれません。今回、自分が死に直面する病気になったことで、また生き方が変わりそうです。

鮫島さんのFacebookの投稿より。(一部省略) (2015/8/20)今日で、6クール目の入院治療も8日目に入りました。 初日に行われた、抗がん剤を脊髄の髄液に注射する「髄注」後、すぐに白血球の減少が始まってしまい、その影響で倦怠感が強く出て、昨日までほとんど寝たきりで過ごしていました。吐き気ほどではありませんが、ずっとムカムカ感がありました。 そんな中で良かったことといえば、 今回、指の麻痺と難聴の副作用が出やすい抗がん剤を使わなかったので便秘が発生しませんでした。それだけは唯一の救いでした。 今日、抗がん剤治療の全ての点滴の予定が終了し、腕から針がはずされました。 白血球の減少はこれからピークを迎えますので、しんどいのはまだ続きそうですが、予定されていた抗がん剤治療が全て終わったというだけで、心の晴れやかさが全然違います。自然と涙が出てきます。 今日、やっと終わったんです。 でも、本番はこれからなのでしょう。 抗がん剤そのものが発がん物質ですし、それを大量に長期間流し込んできた、安全装置の外れた爆弾の様な身体です。 今までとは比べられものにならない位に気を付けて生活しないと、すぐに再燃してしまう危険性があります。 寝たきりだったことと、ほっとしたことで、少し気持ちが弱っているようですね。すみませんm(_ _)m ーーーーーーーーーー 今日は、今回の入院で私自身に起こった変化を纏めてみようとおもいます。 ーーーーーーーーーー 5月1日に入院して、当初は先が見えないほど長いと感じていた入院期間も、過ぎてしまえばあと10日足らずとなりました。 1クール目の入院で起こったのは、まずは体重の激変でした。 85Kgほどあった体重はすぐに10Kgほど減りました。 原因は、早寝早起きの規則正しい生活と、 管理栄養士によってカロリー計算された病院食と、運動量の減少と化学療法による筋肉量の減少です。 二ヶ月を経過した頃には15Kgほど減っていました。 次に起こったのは、細胞の再生を阻害する抗がん剤の副作用による変化でした。 伸びるのが早い体毛からゴッソリと抜け落ちていきました。毛髪から始まり、髭、鼻毛、睫毛、眉毛、そしてそれ以外の体毛が順番に抜けていきました。 2クール目の入院直前に、点滴の針を打つ場所の周りの邪魔な腕の毛を剃ったのですが、3ヶ月経った今でも生えてきません。 爪の成長も阻害され、生え際から1クール毎の期間に合わせて段がついて成長しています。
鮫島さんのFacebookの投稿より。(一部省略)続き 爪と指の密着も弱いのか、爪先に力を加えるとすぐに血が滲むため、風船を長時間ひねり続けるのが困難になってきています。 怪我も治りにくくて、最初の入院直後にできた脛の傷がまだ塞がっていません。痔も治りません。 細かいことですが、けっこうこれがキツいです。 末梢神経の麻痺の副作用のある抗がん剤の影響で、手足の指先に感覚麻痺が出ています。皮膚の触覚がありません。熱い物に触れても、皮膚の奥まで熱くなってからでないと分からないのが怖いです。簡単に深くまで火傷しそうです。 元々、左耳は音が聞こえないのですが、右耳にも難聴が出ました。薬剤性なのか突発性なのか、それともメニエルなのか、診断中です。 ーーーーーーーーーー 反面、良いことも沢山ありました。 まず、痩せたことでメタボが解消されました。中性脂肪と皮下脂肪が激減したお陰です。 中性脂肪が減ったことでインスリ抵抗性も下がり、血糖値は境界型糖尿病のエリアから脱しました。 今と同様の食生活を続けることで、健康体を維持できそうです。 食事の糖質量をコントロール(完全制限ではありません)することで、皮脂のべたつきがなくなりました。 朝に顔と頭を洗ったら、夜までさらさらです。 加齢臭(男臭さ)も減ったようで、枕が臭わなくなりました。 以下は、太り気味の人にしかわからないとおもいますが・・・・・・ 以前より暑さを感じなくなり、家族に「エアコンが寒すぎる」と言われなくなりました。 風呂上がりなどに、汗をだらだらとかき続けることがなくなりました。 お腹や脇腹が冷える事も少なくなりました。 椅子に座る際に、脚(ひざ)を組む事が出来ます。 体育座りをしても、後ろに転がることがありません(笑) 立ったままで靴下を履けます(笑) 椅子に腰かけたままで、足元に落としたものを拾えます(笑) ーーーーーーーーーー 入院するまでは、家族以外で私の事を気にかけてくれる人はいないものと思っていました。なのに、リアルでもネット越しでも、とても多くの方々が応援し、支援してくださいました。信じられない気持ちでいっぱいでした。 それまでは「他人は他人、自分は自分」という気持ちで生きてきました。他人に干渉せず、自分も干渉されない生き方を望んで来ました。 以前、親しい人の死を境に、生き方を変えました。会社員を辞めて自営業を始めたのもそれが原因のひとつです。 他人と親しくなりすぎると、その人に辛いことが起こったときに耐えることが出来ない・・・・・・ そういう気持ちがあったのかもしれません。 今回、自分が死に直面する病気になったことで、また生き方が変わりそうです。

病気になる前は不摂生を繰り返していた

サトモト:現在は完治した、ということでなのでしょうか?

鮫島:現在は寛解(病気の症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態。)という状態でしょうね。5年間、再発しなければ完治と言えます。しかし、この病気は再燃することが比較的多いらしく、再燃した人の内の約8割は、寛解後2~3年以内に集中しているというデータもあります。だからとにかく3年間、再発しないようにつとめたいと思っています。

サトモト:再発予防法みたいなものはあるのでしょうか?

鮫島:基本的にはライフスタイルの見直しです。睡眠不足、運動不足、栄養の偏り、カロリー過多、過労、、、、それらを徹底的に改善しないといけませんね。わたしのこの病気になる前は、かなり不摂生をくりかえしていました。特に自営業をやっていると、徹夜を繰り返したり、コンビニ弁当ばかり食べたりと。

サトモト:精神的なケアも大事な気がするのですが、その辺はどうでしょうか?

鮫島:とても重要なポイントです。これは治療していたときの話ですが、ある日の面会で、とてもうれしいことがあったんです。本当にあったかい気持ちになれた。すると、翌日、白血球の数値がグンと上がったんです。その時、心のケアの大切さは身をもって感じました。

鮫島氏が考える闘病中のFacebook活用意義3つ

サトモト:やはり心の状態ってかなり大事になってくるのですね。Facebookを多用されているのも、このことに関係するのでしょうか?

鮫島:わたしがFacebookを使うのには、3つ理由があるんです。1つ目はさきほどおっしゃっていた「精神状態」を安定させるため。リアルだけでなくネットの世界でも応援の声をかけていただき、本当に嬉しかったし、力になりました。自分の精神状態が安定すると、医師や看護師さん、そして家族などの周囲にも迷惑をかけずに済むので。2つ目は「自分に言いきかせる」ことができます。やはり投稿すれば、のちのちその文章を自分でも読みますよね。その時に、「あーこうしなくちゃいけない」って自分を軌道修正することができます。3つ目は闘病日記のような形で投稿することで、「同じ境遇の人に役立ててもらえる」ということ。医療は日々進化していくので、年月日の記載は必須ですが、それでもこれを読んだ人を少しでも助けられるなら、という気持ちです。ですので、できるだけ時代が変わっても価値が無くならない情報を届けたいと考えています。

知人たちによるチャリティーイベント。返しきれないほどの恩

サトモト:鮫島さんのFacebookの投稿を読んでいて、「あ、この人自分の病気についてすごく客観的に分析してる」と感じていました。今日お話を聞いて、それはネットに投稿することで自分に言い聞かせ、考え方や精神状態を良い状態にキープしてきたんだなっていうことがわかりました。わたし自身、ITの世界に身を投じたので、ITと医療との関係性を考える貴重な機会だなって感じてます。それから他の投稿を見ていると、周りの方にパーティーを開いていただいてる様子がありました。それ見ていて、ジーンと感じるものがありました。

鮫島:これは8月に開催していただいた「オレンジパーティー」というチャリティーイベントの様子です。以前から付き合いのあった「Chicken Garage」のオーナーさんや、その他友人知人が企画してくれました。ほんともう支えてくださった方々、イベントに来てくださった方々にはどう恩を返していいかわからないくらい感謝しています。

夢は「葬儀屋さんを困らせること」

サトモト:恩返し、ではないですが、今後やっていきたいことはありますか?

鮫島:わたし、夢があるんですよ。最期に「葬祭センターの人に迷惑をかける」っていう。

サトモト:っと言いますと?

鮫島:とにかくわたしが死ぬときに、たくさんの人が葬儀に来てくれたらなって思ってるんです。予想以上に人が集まりすぎて、スタッフの方々を良い意味で困らせることがわたしの夢なんです。そのためにも、もう一度、バルーンアーティストとして活躍したいですね。具体的には小児病棟にいる子どもたちにショーを見せてあげたいと思っています。もちろん自分の身体を労りながら。

宣告されたとき、「恐怖心はなかった」

サトモト:最後にどうしても聞きたいことがあるんです。ガンを宣告された時、つまり「自分が死ぬかもしれない」と思った時、どんな心境でしたか?

鮫島:不思議なことにパニックにならなかったんです。恐怖心もなかった。それよりも、ただただ周りに対して申し訳ない、そういう気持ちでした。

編集後記

 ある書籍に書いてあった言葉。「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という問いに答えられない限り、僕らは根本的なところで「生きることの意味」を見いだせない。この言葉は今でもわたしのこころに刺さっています。簡単には出せない「生きる」ということへの答えを追究しない限り、移住、防災、地方創生、もちろん医療といった言葉は机上の空論に終わります。だって「生きる」を知らないのに、「生き方」の提供ができるはずないもの。だからわたしはまだまだ「誰かに何かを教えたり、提供する立場」にはなれないと思う。自分の中で追究しきれてないから。

ただ、ひとつ言えるのは、自分の心に沿って生きている人は素敵だということ。鮫島氏もそうだ。いつも笑顔と心の余裕があって、その境地を目指すことは正しい気がしています。わたしは幸運にも今、やりたいことができている。それは自分が凄いからではなく、たまたま良い環境のもとに身を置くことができていたから。いまの世の中には、「やりたくてもできない境遇」の人はたくさんいる。生まれた場所によって、死ぬまでの運命がほぼ決まってしまう人もいる。そういう人たちにとって「選択しやすい未来」をつくることは、間違っていないように思えるのです。

今回、鮫島氏の取材を通して、自分なりに「死」を考えることができた。普段の生活の中では考えていない刺激を得られる取材はやはり貴重な時間だ。この縁に感謝したいし、自分なりに鮫島氏の今後を応援できたらこれ以上嬉しいことはない。取材依頼ありがとうございました。また明日から書きつづけようと思います。

Innovator No.25  鮫島洋幸