ちょうど去年の3月くらいかな?
佐賀県武雄市で「Social good school」っていうイベントが開催されたんです。
このこのイベントで私がアシスタントを務めるようになった「イケダハヤト」さん と出会ったわけなんですが、トークセッションでは私とイケダさんともう一人、女の子が参加して、意見交換をやったんですね。
この時のもう一人がこの子。
吉原さつきさん。
佐賀県武雄市の出身で、大学では長崎へ。
在学中は佐賀県の「海外使節団」でシリコンバレーに行くなど、バイタリティあふれる彼女。 ※佐賀県海外使節団HP
会って話した時から、ほんと人懐っこく接しやすく、それから将来性も感じた子。
そしてこの子、、、、ちょっとビックリしたんですが、
3.11の爪痕が残る宮城県気仙沼市で就職したんです。
新聞等でもその件で取り上げられていて注目していたんです。 =被災地の佐賀人たち=(2)吉原さつきさん(23)佐賀新聞LiVE
その子が先日、久々に会いにきてくれたので、短い時間だったが話を聞く事ができた。
以前会った時に比べると少し髪の毛が短くなったからなのか、それとも気仙沼での奮闘で心持ちが変わったのかわからなかったが、社会人として一歩成長したオーラを感じた。
先ほどの佐賀新聞の記事に書いてあった写真集の実物を見せてもらった。
これねー、もう全ページ、しかも全国の人に読んでほしい。
プロの編集者たちが作ったわけではなく、「気仙沼が大好き」っていう有志のメンバーが知恵を絞った珠玉の作品。
写真にはそれぞれ短い文章が綴ってあるんだけど、それはインタビューした地元の方の語りをそのまま文章にしたもの。その味わい深さといったら、、、。
こんなわけで東北で躍動してる吉原さんですが、苦労もたくさんしてるようで。
家族の心配にどう応えるかってのもあるし、彼女自身、東北に何ができるか、、、それは今もまだ考え続けているようです。
どうして気仙沼に来たの?
この質問は外部からやってきた人が必ずされる質問でしょう。
吉原さんはこの質問に答える際、少し迷いが生じるんだそうな。
東北に行きたいという想いで行動し、偶然気仙沼に受け入れてくれるところがあった。
そのシンプルな理由をもっと深めないといけないのではないか?そういう観念にかられるからなのかもしれない。
本人は「何かもっと明確な目的を持たないといけないのではないか?」という疑問が頭から抜けず、苦しむ面もみえた。
でもね、きっと大丈夫。
そこに住みたいからきた。
それでいいのではないだろうか?
東北に興味を持ち、そこの人たちの事をどうしても知りたいと思って行動した。
「想い」→「行動」の直結。
そして今はまだ「住む」という「行動」の途中。
何か問題や自分のできることを見つけたら、きっと彼女は行動してくれる人間だ。
だって、こうやって「住みたい」を実際に「行動」にうつしたのだから。
今はあせらず、ただただ住んでほしい。そして純粋な眼で現状をみて、感じてほしい。
外の世界からやってきた彼女の未来が、東北の未来を担いつつあるのかもしれない。
Innovator No.20 吉原さつきfacebook :https://www.facebook.com/satsuki.yoshihara?fref=ts
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