ふと『音楽』ってなんだろうと想像してみた。音と音が調和し、一定のリズムの中にそれらが刻み込まれる。ただそれだけなのだが、人はそれに触れて嬉しくなったり悲しくなったり。そんな不思議な魅力をもっているのが音楽なんだなと思う。
1ヶ月ほど前の話。高知県高知市内のイオンモールのテラスにて、爽やかで柔らかい音がした。そっと耳を傾けてみると……それがウクレレの魅力に惹きつけられた瞬間だった。
ウクレレプレイヤー KYASの奏でる世界
KYAS 1981年生まれ 愛媛県出身 高知県高知市在住 ウクレレプライヤー guitar and sanshin instructor YAMAHA PMS instructor
母がピアノの先生をやっていました。その影響で幼い頃ピアノをやっていましたが、そのあと興味がなくなってしまってやめてしまいました。けど、ビートルズに出会ってからかなり影響を受けましたね。
愛媛県出身のKYAS。ピアノ以外の楽器に初めて触れたのは高校一年生のときのエレキギターだ。その後、母方の親族が高知にいたという縁もあって大学で高知県へ。フォークソング研究会に入部し、音楽の世界にのめり込んだ。
サークルでの音楽経験がなかったら今はない。まわりの人が本気でした。
高校時代は文化祭で一度演奏したことがあるだけ。音楽で食べていくなんて気は微塵もなかったという。しかし、大学での音楽経験を経て、好きなことをやっていきたいと思うようになった。
1日最低8時間の練習。授業をサボることもあった。そんな当時22歳の青年がアコースティックの世界に出会い、世界がひらけていくのである。
一度は夢をあきらめていた。けど高知で音楽がしたかった
一度夢破れて就職したんです。けど、なんとかして高知で音楽がしたかった。
大学卒業後は地元愛媛の病院で医療事務をしていたKYAS。しかしやっぱり音楽がしたいという想いが強く、1年半で仕事を退職。
仕事を辞める際、高知市のイオンモールでライブを開催した。ちょうどその当時、イオンモールの楽器堂の店長がギターの講師を探していた。KYASをみた店長はライブの後、KYASに電話を入れた。
「先生になってくれないか?」
その誘いがきっかけでYAMAHAの試験を受けエレキギターの講師になったのだ。つづけてアコースティックギターの認定試験もパスし、このふたつの楽器を磨こうと、このときのKYASは決意した。
ウクレレとの出会い。あのときいい音に出会っていなかったら…
そんな折、またしてもお誘いがあった。当時ウクレレ不毛の地とされていた高知で、その講師を育成する構想があったのだ。そして白羽の矢がたったのがKYASであった。
母からの後押しがあったんです。「何があるかわからないからやりない。」そう言われて母から7万円をもらい、ウクレレを購入しました。
ウクレレをやるとは全く考えていなかった。しかし母の助言により楽器を手に取った。「あの時、いいウクレレを買っていなかったら、いい音に出会っていなかったら、ウクレレの楽しさに気づくことはできなかった」とKYASは当時を振り返る。
そう、ウクレレはその質が大切なのだ。安価なものであればコントで使われるおもちゃのような音がする。楽器選びは命取りにもなる。
その後、なんとか認定試験をパスし、ウクレレの講師免許も取得。そこから2年間無我夢中でウクレレを弾きつづけた。現在ではウクレレの生徒は高知市内で40名ほど。エレキギター、アコースティック、そして三線を含めると生徒数は100名以上にのぼる。県外でのレッスンも月に一度行っており、KYASは多忙を極めている。
日本のウクレレコンテストでテクニック賞。海外への進出
ハワイでのライブはイベンターがたくさん来るんです。そこで結果を出すことができれば、いろんなライブに呼んでいただけるようになると思いました。
日本では2年に一回ウクレレのコンレストが開催されている。ジ・ウクレレコンテストという大会である。KYASは2007年、この大会で「The Best Technial Player Award」を受賞している。
この受賞がきっかけとなり、ハワイのライブへ招待されたのだ。そしてこれを皮切りに海外へ進出しはじめた。ハワイでのライブも成功したが、当時はタイでウクレレが爆発的なブーム。そこにもKYASは呼ばれ演奏するチャンスを得た。
ウクレレのライブといえば、日本では40人規模くらいが基本ですが、タイでは2000人の前で演奏させてもらいました。しかも日本でいう渋谷のど真ん中みたいなところで。
KYAS Mario bros song@Thailand Ukulele Festival 2011
その後は台湾、韓国とアジアを中心に活動の幅を広げ、KYASモデルのウクレレ制作も経験した。また講師としての経験からワークショップが盛況で、台湾のライブでは毎回行っている。韓国からはウクレレの教則本も出版した。
2015年11月27日発売予定!「ウクレレ・ソロ・アレンジ入門」
表紙の画像はポンキッキーズのコニーちゃんをデザインした木原庸佐が制作。
世界的ウクレレ奏者ジェイク・シマブクロとの共演の様子
ウクレレ歴は10年目。やりたくなくなることはない
24歳でウクレレを手にしたKYAS。ウクレレはリズムのキープが難しい楽器。ギターはベース音があるからいいが、ウクレレは完全にメロディーでグルーヴ感を出さなければならず、リズム感は必須。弦の少ない楽器ゆえに、トータルで世界観を表現しなければならない。
またコンディションの調整や爪先のケアまで、いい音楽づくりには余念がない。
今日もがっつりレッスンand練習、事務処理dayでした~💦疲れた。。ただ弾きまくった時はストレッチとかやらないと、知らず知らずのうちに腕とかガチガチになってるので気をつけましょう~。体は常に柔らかい状態にしておくことが良いコンディションで演奏するコツだと思います — KYAS Ryo (@KYASryo) 2015, 9月 18
これまで、ちょっとした挫折はありました。けど”なにくそ精神“が自分を支えてくれました。
10年もの間、いろんなできごとがあった。けど、やりたくなくなることは一度もなかったという。自身の性格なのか、「今日の演奏はここができるようになったな」という冷静な自己分析と、心底ウクレレが好きなんだという気持ちが、KYASのこれまでを支えている。
すでに結婚もしている。奥様もギターが趣味でKYASのライブによく来ていたのだという。「音で”落と”したのですね!?」なんていうくだらない質問に、はにかむ笑顔が素敵だった。
夢は「たくさんの人にウクレレの音を届けたい」
来年の目標はワンマンライブの開催。また2作目となるミニアルバムも夏にリリース予定のため、KYASの2016年は熱くなる予感だ。
ウクレレの音をもっとたくさんの人に知ってもらいたい。高知でそれができたらいい。
kYASはコンスタントに大きなホールで演奏できるプレイヤーを目指している。それを高知で。インタビュー中は常に謙虚でおだやか。しかし胸の奥にある熱い想いは表情に滲んでいた。地域とウクレレを愛するKYASは、今日もどこかで弦をはじいている。
Innovator No.29 ウクレレプレイヤー KYAS
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